人の決断も自分の決断も

受験に失敗した。正確に言えば、受験に失敗する前に棄権したようなものだ。

 数ヶ月前まで東大を目指していた、あの私の労力と親のお金は水の泡となってしまった。親はその時は私の決断を尊重しているような、プレッシャーをかけまいとしてくれていたのがつたわってきた。あの頃の私は、人生で一番勉強がしたくなくなっていたので、甘えてしまった。

「私なんかが受かるはずもない。」

いくら模試でよい判定が出ても、先生から太鼓判を押されても、そう思うほかなかった。一緒のフィールドで戦うのは、小学校の時から塾へ通い勉強が習慣化されている人たちだ。私にはそんなに勉強する根性はない。

 

 結論から言うと、私は今全く後悔していない。入学したところで、私は劣等感に押しつぶされていただろう。一つの後悔は、あの頃東大を目指していた私は、お金を使いすぎていた。いうなれば、投資しすぎていた。合格しないだろう、と見えてきたら、もっと早い段階で損切りをするべきだったのだ。

 自分の決断が間違っていたのだ。

 親は、私に任せると言っておきながら、散々迷っている頃には的確なアドバイスもせず、心が決まった後になって、言ってきた。もちろん迷惑をかけているのはあくまで私で、親不孝ものであることは重々頭では理解しているつもりだ。ただやはり、自分が悩みに悩んだ決断を後になってとやかく言われるのは気持ちのよいことではなかった。

 受験パターンだってそうだ。としかに安全校を受けすぎたのかもしれない。でもどこも受からなかったらどうしようという不安感は本人にしかわからなかったであろう。お金のことを子供に把握しといて欲しい気持ちはよくわかるし、その教育で学んだこともああった。ありがとう。ただ、今いうのはやめて欲しかった。自分が一番罪悪感を感じていて、なんてコスパが悪いんだ、なんて自分は頭が悪いんだと自己嫌悪が止まらない。

 

 

 まあ私のメンタルが弱すぎると言ってしまえば、それだけの話なのだけれど。

 

 

 

 今回の失敗で学んだことは

 

  1. 大きな決断(大きなお金や、自分の進路)の際には、お金を出してくれる人にとことん相談して相手にも納得してもらう結論を出す
  2. 大きすぎる決断の時、子供や部下に任せっきりにしないで、自分で責任を負う。失敗したとしても、罪悪感を感じさせない。(本人が一番メンタルやられてるんだから)
  3. 誰かが決めたことを(良かれと思ってでも)こうしたほうがよかったかもね、なんてアドバイスを絶対にしない。その決断に至るまでの経緯を知らないんだから、黙ってその決断を尊重する。相手を思うなら、自己満足はしない。
  4. 誰かのせいで損をさせられたとしても、決断をしたのは自分なのだから(騙されたとかではない限り)その人を責めない。怒りをヤワな自分自身に向ける。
  5. 誰かの大きな決断の時、アドバイスを求められたら自分の時以上に親身に考える。その一言でその人の人生が変わってしまうかもしれないから。その場しのぎで嫌われたくないから、傷つけたくないから、優しい言葉を言わない。

 

本当に人の意見を尊重するって、いうのは簡単だけど難しいこと。自然とできるような大人になりたい。